映画[アフタースクール]で学んだこと

 

 

 

 

 

 

*ネタばれ、重要な台詞を含むので注意して読んでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









傷つきの心理は、「思い込み」からくるのだと思います。その思い込みによって、自分は深く傷ついている、周りの連中はつまらない、誰も助けてくれない、学校はつまらない、といった被害妄想が頭を駆け巡ります。

そのいづれの妄想も、思い込みや憶測・主観であることを、本人がどうやって気づくことができるのでしょうか。悲壮感を持って、悲しみの中から立ち上がることが、誰にでも可能ではないと思うのです。

映画では、教育者である他者の一言によって伝えられるけど、他者との関係を持たない、あるいは持ちたがらない人が自分の力のみを使って、それを知ることが可能でしょうか?

「きっと、こうであるに違いない」と思い込むことで、現実の問題を先送りにし、自分の都合の良い形にすり替える。

「思い込み」によって自分を正当化し続けていると、社会性のない主観的価値でしか、判断できなくなってしまうかも知れません。

他者との関わりの中で、助言や指摘を素直に受け止め、自分本位ではない客観的な判断力を、社会の、いつどこにいても発揮できるような才能として、身につけたいものです。

 

 

 

ただし、周りにいる人たちが、「どうせ無理なんだ」とか「時間の無駄」など、それこそ主観を振りかざすような自己中心的・非生産的な環境にいる人は、どうやってその環境の殻を破ることができるのか。

 

とても不幸であるように思えた。

 

 

 

 

そして自分の周辺を、客観的に見ることができた台詞。

 

 

 

 

 

 

 

「お前がつまんないのは、お前のせいだ。」